思春期における少年犯罪の増加について
まずは思春期の定義とそれに伴う精神異常をいくつか述べる事にする。思春期とはいかなる人間においても神経が過敏になる時期である。男女差はあるが、おおよそ十代初めから十八歳までの間を私は思春期と呼ぶ事にする。もちろん、これは事実に沿ったものである。精神科に行くだけで比較的臨床は簡単に行える。体格、性格、さらにはそれに付随する特有の精神異常は外来の席からでも確かめられる。それを基に臨床を行えば、おのずと精神病者のいくつかの特徴が見えてくる。それにしたがって、私は精神科で何通りかの臨床を実行した。むろん、私は医者ではないので、正式な臨床をしたのではない。ただ、自分の眼力に信頼をおいて、様々な分析をしただけである。
では、話を進めよう。思春期の子供は多感になる。そしてこの多感さが子供たちに種々の障害を引き起こすのである。特に著しいのが強迫神経症である。自分で認識をしているのにそれを覆すかのように強迫観念が迫ってくる。この症例は私も何名か、見た事がある。だがその症状は年を重ねるごとに暫時収まり、正常になってゆくのが通説である。強迫神経症になった少年は何事かを命令されたかのように行う。むろん、これは幻聴が聞こえるわけでなく、単なる自らの強迫観念に追われてするものである。私見によれば、神経症にかかっている少年患者に動作をやめるよう、促すのは良くない。そうすると、患者の態度は次第にヒステリーに転嫁する。これは子供がおもちゃを取り上げられるのと、意を同じくする。したがって、我々が行える診察は限られてくる。これには忍耐と並々ならぬ慧眼が要求される。強迫神経症にかかっている少年の強迫観念が収まるのを待ち、その次に会話をしても正常な対応が出来るまで待つ必要がある。やっと、それから医者の役目は始まるのである。まず忍耐強く患者の要求を聞くのが手順である。その次は患者を一般社会に流布する誤謬から、守れる程度までの社会復帰の手助けが必要になる。もちろん、私が述べた事をしなくても快方に向かう患者は多い。だがそこにより適切な診断を行える医者がいるならば、事はもっと簡単にすむのである。
次に挙げる問題は背徳感に喜びを覚える衝動である。古来より背徳とは研究され、重視されてきた。私もそれに沿って、背徳感の研究を進めたいと思う。普通、生物とは果てしの無い戦いを繰り返す。それが自然界の掟であり、通説である。だが人間の場合は多少、事情が違う。
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